救える命があれば どこへでも

7月3日(日)雄勝海鮮まつりに参加しました

平成28年度東日本支援事業 雄勝海鮮まつり参加  -AMDA兵庫 河田 里奈-


日時:2016年7月2日(土)~3日(日)
場所:宮城県石巻市雄勝(おがつ店こ屋街特設会場)

昨年の11月の東北支援事業から、約8か月ぶりの雄勝訪問となった。高台移転のための盛り土が各所に高く積み上がる風景は昨年と変わらないが、高台に商店街の建物の土台や鉄の骨組みが建てられ、各所で公営住宅の建設が進んでおり、震災5年目が経過した雄勝は復興に向け着実に前進をしている。

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今回は、移転オープンしたおがつ店こ屋街での、初めてのお祭りとなる海鮮まつりのお手伝いのため訪問した。新しい道路建設のため、6月に移転したおがつ店こ屋街だが、公営住宅や消防や役所などの主要機関と共に高台へまた集団移転をする予定となっている。

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この海鮮まつりは、もともとはウニ祭りとして漁業協同組合が主催となってイベントを実施していた。しかし、震災で津波の大きな被害を受けた雄勝町では、人口流出で住民が約4300人から約1000人となり、漁業の被害も大きく漁業協同組合の力も弱まったため、石巻かほく商工会が主催となって、漁業協同組合や石巻市復興課及び支所職員、観光協会や復興応援隊や東工大や東北学院大学災害ボランティアステーションの大学生ボランティア等も協力し、今回のイベントを実施する運びとなった。

イベントでは、ウニの販売や海産物販売や地元雄勝スターズや避難所から炊き出し支援をした新潟佐渡の屋台等、マッサージやネイル、喫茶店、雄勝町伊達の黒船太鼓保存会の和太鼓披露やステージでのマジックや雄勝に縁のある歌手による歌の披露が企画された。伊達の黒船太鼓保存会では、震災で練習場が被災し太鼓道具がすべて流されてしまったが、全国からの支援を受け、現在はお礼参りの演奏披露で全国を巡回している。想いを込められた力強い演奏が雄勝に響き渡った。

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AMDA兵庫では、震災後仮設住宅集会所等でイベントを企画実施し、訪問支援活動を続けてきた。震災5年を迎え、新たな活動形態の検討として地域イベントに参加する形での支援をする試みを行った。イベントのお手伝いの内容は、前日のテント設営やステージ設営準備、当日のステージ音響設営とカラオケ設置、会場準備、ウニ販売の来場者案内と整理、ウニの梱包、ステージイベントのカラオケ希望者の案内と実施、片付けを行った。

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当日の会場設営のため朝6時に会場へ向かったが、すでに来場者がおりウニを買うための行列ができていた。限定200箱(朝獲れウニ10個入り)のため、整理券配布が8時、ウニの販売が10時からであるが、昨年までのウニ祭りに参加していたリピーターや口コミにより知った人々によって朝早くからぞくぞくと人の行列ができていった。行列の整理手伝いをしながら、来場者から聞き取りをすると、松島や石巻市内、仙台に住んでいるが地元が雄勝など、遠方からの来場者が多かった。朝早くから並んでおり、保冷剤が梱包されているが生ものなのでウニを買ったらすぐ帰る方もいた。

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カラオケの受付は10時頃より行ったが、始まる11時半には帰宅していると話す方も多くおり、受付をするも開始時間にはすでに帰宅している方も数名いらっしゃった。10組の枠のうち、来場者6名、ボランティアでの来場者9名(大学生グループ2組)が参加してくれた。カラオケステージには、イベントのため来たプロの司会者も入り、大変盛り上がった。

歌うことが好きな方は多かったが、大きなステージでは恥ずかしいという遠慮の声もあり、受付をするまでがなかなか時間が必要だった。今回のイベントでは、多くの来場者が訪れ、閉会の挨拶では、観光による復興や、地元を離れた方が帰りやすい雄勝を作りたいという運営側のイベントへの想いを語ってくださった。最後に運営全員で三三七拍子を行い、おがつ店こ屋街での初めてのイベントは成功し無事終えることができた。

お祭りに参加予定であった各地区の区長さんたちは、ウニの運搬を担っているなど主催側であるため話をする時間が取れなかった。イベントでは、神輿担ぎなどの力仕事や、運動会の競技参加など若手の力が不足している様子であった。また、イベント前日に立浜仮設に行き、復興状況を区長さんにお聞きした。公営住宅4軒建ったが集会所を作るのが遅れており、秋頃には半数の世帯が、12月末にはすべての仮設住宅から移れる見込みであるとのことだった。たまたま通りがかった立浜の副区長さんにもお話を伺うと、震災後に息子さんが大変な状況の中で漁師の仕事を継いで孫たちと帰郷してくれたこと、子どもが少ないので子どもの声が聞こえることが嬉しいこと、東北の人は辛抱強いこと、集会場等で住民が集まり話をすることで逆境の中をみんなで頑張れると心境をお話下さった。震災からもう5年、まだ5年。仮設住宅から公営住宅への移転の目途が立ち、これからようやく復興していけるところだとの声が聞かれた。

これまでの東北支援事業で訪問してきた地域では、2016年内に、仮設住宅から公営住宅への移行期にあたる。集会所が建設中の地域もあり、これまでの仮設集会所での訪問活動を見直す時期にある。被災地全体では、活動終了するボランティア団体もあれば、復興状況により活動内容を変える団体、法人として形態を変え支援を続ける団体もある。雄勝町では、震災により人口流出や過疎化が進んだため、各地域での若手のマンパワーが不足している現状から、運動会等の地域行事に参加するなどの支援方法や雄勝町で購入した東北支援グッズの販売を行うなどの方法も考えられる。現地での状況を鑑み、今後の支援方法を検討する必要がある。