2015年2月9日~14日、AMDAネパール母子病院支援事業・フェーズ事業として、小倉氏、河田氏がネパールで活動しました。
AMDAネパール母子病院視察 -小倉 健一郎-
6年ぶりにSCWHを訪問しました!!
前回は10周年記念式典参加のため、多くの仲間とSCWH(Siddhartha Children and Women Hospital : AMDAネパール母子病院)を訪問しました。その後、日本では東北津波震災があり、そちらの支援に関わっていたので、なかなかネパールに行く機会がありませんでした。
今回ようやく時間が取れたので、視察に行ってきました。
6年ぶりの再訪に、気持ちはワクワク。国際空港になると言われているバイラワ空港はまだ変わりなし。しかしブトワルに向かう道路は拡張工事が進められており、もともと道幅は広かったのが、綺麗に整備をされつつあります。そこから病院のある地域へ。でも何となく周辺の雰囲気が昔と違う感じがしました。たくさんの家、しかも小奇麗な家が結構増えているのです。
病院前の商店はあまり変わっていません。正門から病院へ入ると、右手に本館、そして正面奥には新しく建設された産科病棟が出来ています。入口付近の駐車場には乗用車が何台か並んでいました。正面から左手には3階建ての外来棟が完成し、外来患者さんはそこに集まっています。入口の右側の道をずっと行くと、AMDA兵庫が集めた募金で建設された患者家族棟が建っています。この家族棟の2階には男女の部屋があり、それぞれベッドが10個あります。稼働率は8割とのこと。周辺の宿に比べて安価なため、よく使われているようです。1階には食堂があり、かなり安く食事が出来るようになっています。別の部屋は職員食堂として使われています。
産科病棟は日本の「NGO連携無償資金協力」という資金で建設され、2階には立派なNICUと手術室もあります。病床は現在155床になっています。新しい産科病棟、外来棟の開始に伴い、最初に作られた本館の救急室や分娩室、待合室などが空いていて、これからの使用方法が検討されています。これまで手狭だったことを思うと、建物スペースに余裕が出来るというのはいいものです。
病院では懐かしいスタッフと会うのも楽しみです。入れ替わりも結構ありますが、開院時からずっと勤めている人もいます。スタッフの数は増えていて、医師は6名の研修医を含めて20名、看護師は57名に加え、看護学生さんが実習によく来ているので、看護師がたくさんいるようにも見えます。以前は少ない看護師がバタバタと仕事をしていたのですが、それもゆとりが感じられるようになりました。医師も以前なら外来も病棟も同じ医師が慌ただしくやっていたのが、今では外来と病棟を別々の医師が担当するようになっているので、こちらも余裕が感じられました。
この病院はネパールの高い乳幼児死亡率と妊産婦死亡率を改善しようとの願いから生まれました。この15年でネパール全体の死亡率は随分改善されています。SCWHがこの改善に寄与したことは言うまでもありません。スタッフにも余裕が出てきたので、これからはもっと医療の質を向上させていくようになって貰いたいですね。
開院から16年。阪神大震災の支援のお礼の気持ちを含めて、この病院が日本人の寄付によって出来た病院であることは、まだ忘れられていません。これから私達がすべきことは、これまで続けてきた支援はもとより、ネパールと日本の交流を続けていくことだと思っています。
お互いが行き来して交流を深めることによって相互理解が深まり、その結果として自分たちの生き方を考え直すことができます。また相手の文化や宗教を理解し尊重していくことは、混沌としているこの社会で国家間や民族間の争いを減らしていくためにも大切なことだと思います。
AMDA-MINDS事業見学(バイラワ) -河田 里奈―
ナマステ~!保健師の河田里奈と申します。ネパールといえば、最初は「インドの上のあたりにある国」「エベレスト」という認知度だった私。AMDA兵庫がどのような支援をし、現地の人々のためにどのように貢献しているのか、そして自分が少しでもネパールを知り、支援のために何か出来るきっかけになればと思い、今回はじめてネパール子ども病院に訪問させていただきました。
日本から出発し、マレーシアで乗り換え、ネパールの首都であるカトマンズに到着。カトマンズは、ほこりっぽくエベレストまで行く経由地のため観光地となっており賑やかです。夜は、ネパール料理を堪能。スパイスの効いたカレーと、モモ。モモは、日本でいう餃子みたいなもので、スパイシーなタレをつけて食べます。ネパールの料理は、だいたいがスパイシーな味です。そして甘くミルクたっぷりのチャイをよく飲みます。
翌日にはカトマンズから国内線の小型飛行機で、ネパール子ども病院のあるブトワルに向かいました。小型飛行機からの景色は、目の前に真っ白に美しく映えるエベレストが雄大に広がっていました。ブトワルは、カトマンズより田舎でのんびりとしていて、そこいら中に牛がうろうろ、どっしりと歩いています。ネパールの宗教で大多数を占めているヒンドゥー教では、牛は神聖な生き物とされているので、大切にされているそうです。
そして、いよいよネパール子ども病院に到着です!ネパール子ども病院は、日本全国の人からの寄付により貧富の差やカーストに関係なく、必要な支援を提供することを目標として診療費を低く抑え、病院の不足している地方に設立された経緯があります。たくさんの子どもたちとお母さんや家族が訪れており、病院の庭では、子どもと家族が遊具で遊び、座ってくつろいで過ごしていました。
初日は病院の全体を案内してもらい視察をし、2日目に看護師へのインタビュー調査を実施させていただき、3日目にAMDAMINSが支援している学校保健のフィールドの視察、4日目に病院の視察と訪問の報告をさせていただきました。現地のネパール人スタッフは業務中の忙しい中、訪問を快く迎え入れてくださり、大変積極的に現状について話してくださいました。産科病棟では、生まれたばかりの赤ちゃんを抱かせていただき、生まれきてくれた命の温かさを感じました。ネパール子ども病院では、妊婦健診から出産まで、安全に生まれてくるよう病院がサポートをしています。以前は妊婦健診を受けないまま危険な状態になって病院に運ばれてくるケースも多かったようですが、病院が中心となって地域に入って教育を行い、妊婦健診を促進し、健診を受けにくることが定着化していった経緯があります。今後は、日本の保健センターのような地域での健康教育や母子手帳を含めた乳幼児健診までのフォロー体制が充実して行われていけばいいなと感じました。
NICUでは、以前よりも医療内容が向上し、900gの小さな赤ちゃんが保育器でケアをされていました。救急病棟では、重症の火傷を負った子どものケアをしており、ネパール子ども病院が緊急や困難ケースを多く受け入れ、地域に貢献していることを実感しました。
そして、2014年に出来たばかりの家族棟の利用状況を確認しました。これまでは、家族が付き添える場所がなく、廊下や外で寝泊まりする家族の姿が多かったそうです。家族棟には食堂やベッド、調理室、バスルームなど設置され、多くの患者家族が快適に過ごせる環境となっています。一方、病院の外の処理場ではゴミの分別処理がまだまだ十分でなく、病院の安全な環境作りのためにも処理場を整えていく必要性を感じました。
また、AMDA-MINDS事務所や活動先である小学校にも訪問させていただきました。スクールヘルスプロジェクトでは、小中学校の保健クラブを作り、トイレの設置やトイレ掃除、手洗い指導、ゴミ箱の設置など公衆衛生に取り組んでいます。小学校を訪問し、トイレや手洗い場、手洗いの様子を視察させていただきました。保健室の先生として働いていたことのある私にとっては、大変関心が高い活動です。日本では、保健室が中心となって子どもたちの心身の健康増進をサポートしていますが、海外から見ると養護教諭という独自の職業は確立されていない国が多くあります。しかし、かつての日本では学校における伝染病予防のために発展していった養護教諭の歴史を考えると、開発途上国でのスクールヘルスの向上はおおいに地域の健康や教育の向上につながる貢献していくと感じます。
ネパールではカースト制の影響があり、トイレの清掃はカーストが低い者の仕事とされていて、やりたがらない傾向にあると言います。そのため、周囲が不衛生な環境により、病気が蔓延にもつながることもあるようです。パンフレットなどを使用し正しい知識の普及啓発をする、高学年の保健クラブを中心に低学年の子どもに教育をするなどの取り組みにより、下痢の子どもが減ったなどの声もあるようです。
看護師さんへのインタビュー調査では、現場で働くスタッフの生の声をきくことが出来ました。ネパールの看護師さんたちは患者のためにサービスの向上や看護技術の向上をしたいと思っており、今回得られた意見を参考に、研修の機会や施設の整備など支援につなげていきたいと思います。
ネパール子ども病院は、スタッフが自立して運営し発展を続けており、たくさんの日本の方からの善意に支えられて、AMDA兵庫と現地のスタッフが積み重ねてきた16年間の歩みを実感しました。ネパールの人々のためによりよい病院を目指し地域に貢献していくためにも、今後もどのような支援が出来るのかを検討し継続して考えていきたいと思います。