2015年6月14日~21日、ネパール震災医療支援活動として、江口氏、相羽氏がネパールで活動しました。
ネパール震災医療支援活動 -AMDA兵庫理事長 江口 貴博-
2015年4月25日に発生したネパール大地震では、8000人を超える人が亡くなられ、その後も震災関連死の増加が危惧された。AMDA兵庫は、阪神大震災や東日本大震災の現場において災害緊急医療支援の経験があり、その経験を今回のネパール大地震において生かそうと、2015年6月にネパール震災医療支援ミッションを行った。特に今回は、派遣医師が脳神経外科医だったこともあり、地震の時の頭部外傷後1、2ヶ月に多く発生する慢性硬膜下血腫という病気の啓発、手術指導に重点を置いて活動した。
最初にカトマンズ市内のテント村や身障者たちが暮らす避難所を巡回し、地震後の衛生状態の確認やメンタルケアなどを行った。そして、トリブバン大学病院を訪問し、地震直後の脳神経外科手術の状況を確認、また慢性硬膜下血腫の発生状況を確認した。この病院では脳神経外科専門医が3人いて積極的な治療がなされており、カトマンズでの慢性硬膜下血腫は十分治療がなされるものと思われた。
次にブトワールに移動し、AMDAネパール母子病院の被災状況を確認したが、安藤忠雄氏の設計による日本式の頑丈な建物ゆえに、まったくと言っていいほど損害はなかった。そして特記すべきは、ネパール大地震発生翌日に、こども病院の若手の医師、看護師、スタッフらが自主的に緊急医療支援チームを編成し、震源地に近い山岳地帯ゴルカ郡で活躍、外傷や内科疾患を中心に600人以上の診療にあたったことである。この病院が阪神大震災の復興のお礼としてできた病院であることや、AMDAが災害医療のNPOであることで、そのスタッフにAMDAスピリッツが息づいていることが嬉しかった。その第4次医療支援隊として、江口と相羽看護師、ビノー院長らでゴルカ郡に向かった。ゴルカ郡病院も視察したが、病院建物は大きく傷み、テントの仮設病棟で産科を中心とした医療が展開されていた。山あいのテントや避難所も視察したが、高地高温でのテント生活は劣悪な環境で、熱中症や胃腸感染症などで亡くなる人もいたという。慢性硬膜下血腫の患者を見つけることはなかったが、ゴルカ郡病院の医師に、慢性硬膜下血腫の発生に留意するように啓発した。ゴルカからの帰り道、交通事故に遭遇し頭から激しく血を流す男性の救急医療に携わり、脳神経外科医として、止血処置、頭部CTでの診断を行った後、バイラワ大学の研修医たちに、CT読影のレクチャーを行った。
翌日、こども病院のスタッフを集めて震災関連死についての講義を行い、また慢性硬膜下血腫の手術法について、江口が執刀したビデオなどを用いて具体的に治療法を説明し、資料をスタッフに託した。そして、慢性硬膜下血腫に必要となるハンドドリルを2セット寄贈した。今後このハンドドリルで、慢性硬膜下血腫の患者を救えるとともに、小児の水頭症の治療、神経内視鏡治療などへの応用も期待された。
ネパール大地震では多くの方が亡くなって、大変な不幸な出来事であるが、それを不幸だけに終わらせずに、何か一歩でもネパールの医療の進化につながることを願って、今回の災害医療支援活動を終了した。
ネパール震災医療支援活動 -AMDA兵庫 相羽 亜紀子-
2015年4月25日にネパール中部にマグニチュード7.8の大地震が襲い、さらには5月12日7.3の余震発生にて8800人を超える死者を出した。そのため200万人以上の住民が避難生活を余儀なくされ、またネパールの学校18289校ある中の7532校が被災した。AMDA兵庫は、阪神大震災を機にネパールとのつながりがあり、AMDAネパール子供病院への支援活動していたことから震災支援ミッションのため、2015年6月ネパールへ向かいました。
ネパールの首都カトマンズを始め、観光者が集中するタメル地区、ネパールの古都パタンにある国立動物園前の運動場で仮設避難している身障者の方々、震源地ゴルカ郡に近いゴルカリスチュリック病院やその周辺での避難生活されている方々への健康状態やメンタルケアを含めて一人一人に時間をかけて話しを聞くことにしました。
テントでの生活していた人たちは、子供から高齢者まで助け合いの精神が発揮されていました。しかし、震災により家や家族を亡くし、テント生活を余儀なくされ、その生活の中で子供や高齢者を感染症や栄養不良により亡くした方もいました。
しを聞いている中には、涙ながらに「胸が苦しい。痛い。」と胸や頭に手を当てながら訴える姿も多くみられ、私は胸が締め付けられる思いでした。訪問したトリブバン大学病院では、震災後、家族に連れられて山間部より歩きと車で5時間かけ来られた高齢者の方がいました。無事に手術を終え、退院を待つ状態ではありましたが、その高齢者からも胸の痛みの訴えがあり、今後多くの人の震災関連に伴うPTSDへの悪化が懸念されました。トリブバン大学病院では、カウンセリング室の設置やホットラインにて24時間対応を行なっているとのことであり、一人でも多くの方々が受けられればと願うばかりでした。
AMDAネパール母子病院では、震災後すぐに医師や看護師が薬などを持参し山道を5時間ほど歩いて震源地に近いグルカ郡へ緊急医療を行なったことを聞き、江口先生とAMDAネパール母子病院のビノー院長と共にゴルカ郡へ向かいました。テントでの生活は猛暑により外に出れず、テント内でも風がなく熱中症にかかり亡くなる方も多くいました。私は持参した日本製の扇子を配り、子供達とは紙飛行機を一緒に作り飛ばして遊びました。些細なことしかできませんでしたが、今後もネパールの人々が一人でも笑顔が取り戻せるようAMDA兵庫は支援を続けていきたいと思います。また、一人でも多くの方々の支援を願っています。