救える命があれば どこへでも

風に立つライオン基金主催 能登半島地震支援活動

日程:2024年11月23~24日
AMDA兵庫:江口・島田
ライオン基金:古竹理事長・早野さん・坂田さん・脳神経内科医師1名・他3名

11月23~24日、風に立つライオンの能登半島地震支援活動に参加しました。

23日は江口先生が徳島当直明けの為、昼前の出発になるので新幹線で移動して能登國一宮・気多大社で能登半島地震の復興祈願を予定していましたが、前日に現地での移動手段が無いと連絡があり急遽、車で行く事となりました。当日は高速道路が京都付近で大渋滞だったので舞鶴若狭道ルートでの移動になりました。5時間くらいで着くと思っていましたが、11時に出発して羽咋市の旅館へ到着したのは19時、残念ながら気多大社での御祈願は今回見送りとなりました。
その後、早野さん、坂田さんと合流して一緒に夕食をとることになり、互いの近況報告等しながら親睦を深める事が出来て、とても良い時間となりました。

24日はいよいよ輪島市での活動、ライオンカフェでコーヒーやお菓子を提供しながらの被災者メンタルケアと、脳神経外科の江口先生と風の団所属の脳神経内科の先生の二人が健康相談会。朝8時に出発、輪島市へと向かいます。羽咋市から輪島市まで1時間半ほどかかりますので被災状況を見ながら移動しました。主要道路は修復途中で何とか車が走れる状態にはしていますが、元通りになるにはまだまだ何年もかかりそうに思いました。又、土砂災害は思っていたより酷く、至る所で広範囲に山が崩れ落ちて土砂や木が川へ流れ込み、二次災害を引き起こす危険な状態となっていました。特に半島の先へ進んでいくにつれて災害が酷くなっていくのを感じます。輪島市に入ってコンビニに立ち寄りましたが、辺りは手つかずの倒壊家屋がそのままの状態で、そこは震災直後から時間が止まっているようでした。阪神淡路大震災を経験している私には、30年前の神戸が鮮明に思い出されました。目的地はそこからさらに先、輪島駅に隣接している仮設住宅横に設置されたトレーラーハウスでした。

訪れる人はご高齢の方が多く、健康相談だけでなく多くの方が不安なこと等を語っておられる姿を見て、震災からある程度の期間が経過しましたが、まだ多くのストレスが溜まっているのを感じました。たまたま通りかかった女性が「85歳の母がめまいで悩んでいるので連れてきていいですか」と尋ねられ江口先生が担当することに。来た時は今にも倒れそうな状態でフラフラしているおばあさん。小一時間ほど先生が話を聞きアドバイスをしたところビックリするほど元気になっており、帰るときにはニコニコしながら今日は来て良かったと私にも話し掛けてくれました。この健康相談のおかげで医者が話を聞くことにより病気以外の不安やストレスが解消される事が良くわかりました。又、病気でない方もライオンカフェに来られる皆さんから多く聞こえて来たことは、仮設住宅ではあまり会話が無いとの事でした。ライオンカフェのトレーラーハウス内には医師二人が昼食を取る暇もないぐらい多くの人が集まり、江口先生が20名、脳神経内科医が10名程度担当していました。トレーラーハウスの外にはテントがあり、そこでもコーヒーを飲みながら人が集まり会話が弾んでいました。又、被災地の子ども達のメンタルケアを行うNPOに所属する、金沢大学医学博士の能登里山里海未来創造センター長が、近くの子ども達30人程度を連れてライオンカフェを訪問、寂しかった被災地に賑やかな笑い声と元気を届けてくれました。

今回の支援活動に参加して、今の時期に必要な事が何であるかを理解すると共に、地震と水害という二重の被害にあったにも関わらず、懸命に生きている方々の笑顔を見ることが出来ました。能登半島地震からもうすぐ1年になりますが現地を見ればまだまだ復興に時間がかかるのがわかります。これから厳寒期に入り寒い地域でありますのでAMDA兵庫のテントサウナの出番も近くありそうに思います。自分に出来ることは小さいと思いますが、少しでも力になり一人でも多くの被災者の笑顔が見られるように頑張ろうと思いました。

文責:島田