救える命があれば どこへでも

「AMDA兵庫とAMDAネパール子ども病院の今までとこれから」

「AMDA兵庫とAMDAネパール子ども病院の今までとこれから」      於:毎日新聞神戸支局セミナールーム

 6月3日14時より、ネパールからブトワール市長、AMDAネパール子ども病院の元院長、元商工会議所会長など6人+通訳1人の方が来日され、AMDA兵庫で講演をしてくださった。
 AMDA兵庫からの参加者は、AMDA神女クラブの6人も含めて20人

Khel Raj Pandey (ケル ラジュ パンデイ)
ブトワール市長

Tek Raj Panthi (テク ラジュ パンティ)
ブトワール市職員

Jivan Prasad Ojhanthachhe (ジバン プロサド オジャ
商工会議所元会長

Ujwal prasad Kasaju (ウジョル プロサド カサズ)
商工会議所会長

Dr. Rishikesh Narayan Shrestha (リシケス ナラヤン シュレスタ)
ネパールこども病院元院長

Dr.Rajendra Prasad Basyal (ラジェンドラ プロサド バシャール)
ネパールこども病院院長

そして、AMDAからアルチャナさんが通訳として来てくださった。

 まず、江口先生から1995年の阪神淡路大震災の縁でAMDA兵庫が中心となってブトワール市にAMDAネパール子ども病院が建設されたこと、2015年のネパール地震の時のAMDA兵庫の関わりについてお話があった。

 その後、Dr.リシケスからAMDAネパール子ども病院は、貧しい人たちのための病院であり、母と子の健康支援を旨にしていること。1997年開業から現在までに90万人以上の人の治療を行い、妊婦や子どもの衛生や健康教育をすることで周産期・乳幼児の死亡率低下に寄与している。2015年のネパール地震の際は、いち早く被災地に駆けつけ救命活動をした。その後もAMDAネパールとして本部の要請により、ハイチ・フィリピン・インドネシアなどに医療団を派遣した。という今までの活動についての話があった。

 そして今後のAMDAネパール子ども病院について、現在ベッド数100床のところを段階的に300床に増床し、脳外科も備えた総合病院、いずれは医科大学病院へと発展する予定であるという発表があった。

 また、現在のブトワール市長であるケルラジュバンデイ氏からも、今までのAMDA兵庫の支援に感謝が述べられた。また、今年11月に開院25周年記念式典が催され、AMDAネパール子ども病院からルンビニまでのブッダワールドマラソンが企画されていると発表があった。今後は今まで以上に日本との連携を強めること、日本とネパールの愛の証であるAMDAネパール子ども病院への継続的な支援を望まれている。

 Dr.リシケスのお話から、今でも篠原先生はAMDAネパール子ども病院の精神的支えであることが伝わり、篠原先生のお姉さん前田ひとみさんからの挨拶があった。その挨拶を受け、元商工会議所会長ジバンプロサドオジャ氏が篠原先生の思い出を語られるなど、アットホームな良い会となった。

文責:中川 卯衣